春日部の塾、春日部アカデミーのブログ「春日部アカデミー通信」へようこそ!
知り合いの塾長先生が話してて、
「それ、絶対にそうだよな~」って深く共感した話がある。
塾の中で
「授業で分からないところがあったら、いつでも質問しにおいで」
的なことを言っているところは少なくないと思うけど、
それってそもそも、どうなの?
って話。
それって、
「授業で分からないところがある」っていう前提に立ってないかな、っていう話。
僕らは教えるプロだから、
授業をやって、生徒たちに「分からない」を残したまま終わりにするのって、
あってはならないことなんじゃないか?
もちろん、一回の説明だけで全てを理解させるのは現実的に不可能だ。
「今の伝え方だと、ちょっと分かりづらかったかな?」ということを、
自分を客観的に見ているもう一人の自分が気付いてくれたり、
生徒が表情で教えてくれたりする。
そういう時は、即座に別のアプローチで説明し直す。
生徒に理解できたかどうかを確認もする。
でも、本当は理解できてないのに「分かりました」って言ってしまう子も中にはいるから、
彼ら彼女らの表情や、「分かりました」の言い方も、しっかりとアンテナを張ってキャッチする。
そういうことを常に行い、
授業の最後に「分からなかった」を残さないことが僕らの仕事。というか、義務。
だから、
「授業で分からないことがあったら質問しに」というのは、
何だろう、違和感しか感じない。
誤解のないように言っておくけど、
もちろん、質問を受け付けない、ということを言っているのではない。
むしろ、自分で勉強をしていて分からないところがあったら、
放置せず、また「分かったつもり」にもせず、
質問をして解決してほしい。
ただ、僕が使ってるのは、
「質問しに来な」という言葉ではない。
僕は生徒たちに
「自分で考えてどうしても分からなかったら、俺を頼れ」と言っている。
これにはちゃんと意図があって、
「質問しに」というと、その問題の解き方などを教えて終了、という感じにどうしてもなってしまう。
けど、僕が重要だと思っているのはそこではない。
むしろ、解き方や答えは自分で見つけ出してほしい。
僕はそのための「手助け」をする。
そっちの方が、ただ解き方を教えるよりもよほど大切なことだと思ってる。
だから「質問しに」ではなく「頼れ」と言ってる。
僕を頼り、自分で勉強を進めていける「自学力」を身につけていってほしいんだ。