「大学全入時代」という言葉が初めて聞かれるようになったのは、どれくらい前だっただろうか。
高校は既に、選ばなければ誰もがどこにでも入れる状態になってる。
大学も、本当に近い将来(いや、もう既に?)、
間違いなくそうなる。
自分たちの時代は、大学はある意味ステータスのようなものだったが、
それももう過去の話ということだ。
でも、これってつまり、
「ただ大学を出ただけ」では何も価値がない、「ただの人」ってことだよね?
わざわざ高いお金を出して、
「ただの人」になるためにその大学に行くの?
違うよね。
全入時代ということは、
「その大学で何をしてきたか、何を身につけたか」が今まで以上に重要になる、
というか、そこだけに価値が集中する、ってことだ。
これって、きわめて健全な状態、大学の存在意義そのもの、って言えるんじゃない?
これからは、ただ単に「大卒」の学歴だけがほしくてそのためだけに大学に入学した人は、
社会の中で確実に淘汰されていくだろう。
高校の方は、もっとシビアかもしれないね。
「とりあえず高校だけは」で、ろくに努力もしないで高校に入った人は(←今はそれでも高校に入れちゃうから)、
高校に入学した途端、その先に進むことはできなくなる。
もちろん、卒業はできるだろうけど、そこでおしまい。
とりあえず「大学」と名が付くところには入れるかもしれないけど、
そこから先は、ちょっと辛らつな言い方になるけど、
「お先真っ暗」だ。
だって、高校や大学を出てるのはごく当たり前の時代が来るんだから。
だからね、こういう時代だからこそ、
大学や高校は「選んで」行かないといけないんだ。
自分がいけそうなところを安易に選ぶのではなく、
「何のために大学に」、「何のために高校に」というのをはっきりとさせ、
それをちゃんと言語化し、
それに向けて、ひたむきな努力を日々積み上げていく。
楽な道ではなく、あえて困難な道を進んでいく。
そうやって、受験前の段階から「努力すること」を学び、
高校や大学で、さらにそれを開花させていく。
そういう生き方が、この「全入時代」に求められているんだと思う。
塾業界の中では、この全入時代は大きな危機だとか言われてるけど、
時代が変わったって塾の役割、塾に求められてることなんて、山ほどあるんじゃないかな。
「合格させるためだけの指導」は不要の一途をたどるだろうけど、
たとえば、自分で学べる力、目標に向かって努力をし続けられる胆力。
そういったものを、学校とは違うアプローチで
生徒一人一人に対して丁寧に接していきながら育んでいく。
これも、これからの塾には必要なことだと思う。