小学生、中学生、高校生の勉強の大きな特徴。
それは、「正解がある」ということ。
最近は、
自分たちで課題を設定して、その答えを自分たちで探っていく、
というようなものも少しずつ導入されてきてるけど、
基本的には正解があるもので、
その正解の導き方を学んでいく、というものがほとんど。
だから、まずはこの「正解の導き方」は
ちゃんと身につけよう。
「理解」→「習得」を丹念に丁寧に根気よく繰り返していけば、
決して不可能なことではない。
というか、やるべきことはこれ以外にない。
なぜそれが必要かというと、
まず大学では、それがちゃんと出来ていることが前提になるから。
大学は高校までとは違って、
先人たちが長い年月をかけて作り上げてきたものを土台にして、
新しいものを研究や調査によって作り出していくところ。
最近はそれが上手く機能できてない大学も少なからずあるようだけど、
本来大学とはそういうところ。
先人たちが作り上げてきたものというのは、つまり、正解があるということだから、
高校までの授業の中でやってきたこと、ということだよね?
だから、ここはちゃんとやっておかないといけないよ、という話。
そして、それ以上に重要なことは、
社会に出たら正解の無いことが山ほどある、ということ。
特に、変化の激しい今の時代は、なおさら。
え?だったら、正解の導き方なんて社会で役に立たないって?
いやいや、その逆だから。
正解が無いということは、
正解を自分たちで見つけ出す、
というか作り出していかなくちゃいけないということ。
正解があるものにちゃんと向き合ってこなかった人に、
こんなこと出来るわけがない。
そういうものにちゃんと向き合い、そこで得た経験と、もちろん知識。
それがあって初めて、より正しい答えを出すことが出来るってものだよ。
だから、まず高校生までは、
正解の導き方をちゃんと身につけよう。
そして、社会に出て、
正解の無い問題にちゃんと立ち向かえるだけの
体幹をしっかりと鍛えておく。
それでもね、自分が出した答えが正しいかどうかなんて、
実際には誰も分からない。
そんな時は、こうするしかない。
自分が出した答えが正解になるように、ひたすら努力を積み重ねていくのよ。
何度も失敗を繰り返しながらね。