「親ガチャ」をどう捉えるか(親ガチャ論争「塾長編」)

 

こんにちは。春日部アカデミー塾長の福地です。

2学期の中間テストが近づいており、最近はその対策や準備に多くの時間を割いてます。

今週末と来週末は「テスト対策勉強会」も開きます。

費用は無料ですので、たくさんの生徒たちに参加してほしいと思っています。

 

さて今回は、最近話題になってる「親ガチャ」について書いていきたいと思います。

 

先日もマネージャーがこちらの記事で親ガチャについて書いてくれました。

k-acdm.jp

 

実は私は、マネージャーがこの記事を書いてくれるまで

「親ガチャ」という言葉を聞いたことはありましたが、それが何なのかは全く知りませんでした。

「今流行のガチャゲームにハマってしまってる親たちの話かな?」なんて勘違いもしていたくらいです。

全くお恥ずかしい話です(゚Д゚;)

 

しかし、この記事を読んで、そしてネットで他の記事も読んで、

あまりに強烈な内容だったので驚きました。

 

そして、数日前も親ガチャの話がネットで記事になっていたので、

それを読んでまた考えを深めていきました。

 

 

そもそも、「親ガチャ」という言葉はどこで、どのようにして生まれたのでしょうか。

 

ある記事によると、最初はオンラインゲームの中で使われたネットスラングだったようですね。

それが本当かどうかは分かりませんが、あながち嘘でもないのかなとも思います。

 

ではいったい、誰が、どのような思いで使い始めた言葉なのでしょうか。

そして今現在、どのような人が、どのような思いで使っている言葉なのでしょうか。

そんなことは知る由もないですが、これを考えることは「親ガチャ」という言葉の広まりを考えるうえでとても重要なことだと思うのです。

 

 

たとえば、

自分は欲しいゲームを買ってもらえないのに、友達は買ってもらってる。

そんな友達を羨ましがってる子がいたとします。

そんな時に、ほんの一時的な軽い気持ちで「自分の親はひどい。友達の家に生まれればよかった。」と思い「親ガチャ外れ」という言葉で、ネット上のチャットやSNSなどでつぶやく。

こういうケースもあるかもしれません。

 

でも、子供が自分の家より他人の家をうらやむということは、よくあることだと思います。

高校生や大学生になっても、自立する前なら誰もが一度や二度はそう思うのではないでしょうか。

私にもそういう経験があります。

 

「親ガチャ」という言葉の響きがとても強烈なので、何か大変なことが起きてるような錯覚に陥ってしまいそうですが、

もしこのような背景があるのだとしたら、

根本的なことは昔も今もあまり変わらず、取り立てて大騒ぎするようなことではないのではないかと思います。

「うちの親、最悪だよ~」という友達同士の愚痴の延長とみていいと思うのですが、

それがネットの力で不特定多数に急速に広まっていったということが、問題を少し複雑にしているのでしょうね。

 

 

別のケースとして、

ろくに努力もしない若者が「自分の人生がうまく行かないのは、この親のもとに生まれたせいだ」と

他人への責任転嫁として「親ガチャ」という言葉を使ってる場合もあるかもしれません。

ネットでも、それを問題視している記事を目にします。

こういう場合は、

「人のせいにしないで自分が努力しなさい」の一言で片付けてしまっていいと思います。

 

 

しかし、もしかしたら本当に深刻な問題を抱えてるケースもあるかもしれません。

 

最近よく、親子の間で起こったとても悲しい事件がニュースになってます。

気のせいか、最近は以前よりも増えてきたような印象も受けます。

ニュースになるほどの残酷なケースとまではいかなくても、

親に肉体的や精神的に虐げられてる子が一定数いるのは、残念ながら事実なのでしょう。

 

そこまで追い詰められた子が「親ガチャ外れ」とは、むしろ言わないかもしれませんが、

もしかしたら警告のための信号である可能性もあります。

 

そのような信号を見逃さずにキャッチすることは、とても難しいことだと思いますが、

とても重要なことだと思います。

 

 

このように、「親ガチャ」という言葉を一つとっても、

その背景にどういうストーリーがあるのかによって、私たち大人は対処のしかたを変えていかないといけないのだと思います。

 

 

当たり前のことですが、

生まれたばかりの赤ちゃんは「親ガチャ外れ」なんて考えません。

成長の段階でそう思うことがあるのかもしれませんが、多くの場合は一時的なものだと思います。

それを「親ガチャ」という何とも軽い、聞こえようによっては小バカにしてるようにも聞こえる言葉で表現するのはどうかと思いますが、

ゲーム世代の若者的なネーミングセンスによるものだと割り切りましょう。

 

しかし、上の3つめのケースで書いたようなことだけは防いでいかないといけません。

それが私たち大人の役目だと思うのですが、

いざ、自分は何が出来るのだろう。

それが無ければ、単なる綺麗ごと、評論家的な意見で終わってしまいますね。

 

 

私たちは学習塾なのでこのような分野は専門家ではなく、素人的な発想にどうしてもなってしまいますが、

私たちに出来ることと言えばきっと、

生徒のよき話し相手となり、精神的に安心できる場所でいること。

そして、生徒からの何らかの信号をいつもキャッチできるようにアンテナを張っておくこと。

なのではないかと思います。

 

 

また機会があったら、親ガチャについて書いていきたいと思います。

 

 

 

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今回は、今年から中3の教科書に入ってきた「仮定法」を使った表現です。

 

If I were you, I would buy a bigger jacket.

(もし私があなただったら、より(サイズの)大きいジャケットを買います。)

 

仮定法とは「事実と異なることは時制を1つ昔にずらす」というルールです。

ここでは、「私はあなたである」というのは事実と異なるので、be動詞をamからwereに変えてるのですね。ただ、本来ならwasとなるところですが、仮定法でbe動詞を過去形にする場合は習慣的にwereに変えます。最近はwasになることも多いようですが。

そして、後半部分のI would ~. の部分は、「断言を避ける」という気持ちから助動詞の過去形(would)が使われてます。元々の前提が「私があなたなら」という事実と異なることなので、断言できるわけがないんですよね。

この文は色々と応用ができるので、ぜひ声に出して読んで覚えてしまってください。

 

それでは、次回もお楽しみに!