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僕も人間だし、ましては聖人君子でも何でもないので、
正直、「この子やこの保護者はちょっと・・(勘弁)」というケースは、ゼロではない。
中でも、最も「これはどうしたものか」と頭を悩ませるのが、次のケース。
自分を磨く努力をしない生徒。また、それを「良し」とする親。
「どうせ自分には無理だから」とか、
「そんなの、うちの子には無理です」と言ってくる。または話の節々にそれが感じられる。
あと、
「自分は、またはうちの子は、そこまで望んでません」とか、
「そこまで上のレベルは望んでません」というケースもある。
これは本当に、どうしたものかと思う。頭が痛い。
だって、それってつまり、
「自分は努力はしません」って宣言してることと一緒だから。
努力って、たしかに面倒くさいかもしれない。
でも、この世の中、努力なしでいったい何を得られるというのだろうか。
百歩譲って、少しは努力をしたとしよう。
でも、それで得られるものは本当に「少し」だ。
それでもやっぱり、できれば努力はしたくない、苦労はしたくない、
という気持ちもわかる。
僕だって、そう思うことはしょっちゅうだ。
でも、それによって得られるものが大きいことも知っている。
このことが紛れもない事実であることは、大人であれば誰もが納得してくれるはずだ。
だからこそ、
子どもには努力の大事さを伝えてあげないといけない。伝え続けていかないといけない。
まず、親が。でも、もし親だけの力では足りなかったら他者の力も借りる。
我々のような教育の専門家に。
決して諦めてはいけない。
諦めたらそこで子どもの人生が終わる、とすら僕は思ってる。
この世の中には、努力した者しか得られないものがある。
努力した者にしか見ることができない景色がある。
その景色を子どもに見せてあげられずして、何が「大人」だ。
時には強権を発動してまでも、その景色を子どもに見せてあげることが、
大人の責務なのではいだろうか。