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【自分は教育者?】いや、肩書きは別にどうでもいい

 

たまに届くメルマガに、「中小塾の経営者は自らを「教育者」として考えている」という一節があったので、

 

はたして自分はどうかなと、ちょっと考えてみた。

 

 

 

自分は今まで、あまり自分のことを「教育者」だと思ったことはない。

 

一応、塾も教育業界なので、そこに属している以上「教育者じゃん」と言われればそれまでなんだけど、

 

自分の中では、教育者というのはもっと崇高というか、気高いというか、

 

品格の良さが溢れてて自分など足元にも及ばない存在、というイメージをどうしても感じてしまう。

 

自分なんて、傍から見たら普通のおじさん(笑)

 

 

 

では、教育者ではないとしたら、何なのか。

 

 

自分では、「生徒が勉強でテッペンを目指すことをお手伝いしてる人」、という感じかな。

 

 

ここで言う「テッペン」というのは、何も学年トップとかそういうのではなく、

 

本人にとっての「テッペン」。平たい言葉で言い換えれば、「自己ベスト」。

 

本人の努力がMAXで開花した状態だ。

 

 

勉強はスポーツや芸術と違って、本人の努力が最も平等な形で結果に出る、

 

ちゃんと努力すれば、誰だって平等に、ちゃんとそれが開花する。

 

そうなれば、何よりそれは本人にとって大きな自信になるし、

 

そういう経験をしてるとしてないのとでは、

 

きっと人生も大きく違ってくるだろう。

 

 

たとえ運動神経が悪かろうが、歌が上手くなかろうが、絵が下手だろうが、ちょっと見た目がブサイクだろうが、

 

そんなことは全く関係なくなる。だって、そんなことに動じないだけの自信があるから。

 

 

ドラゴン桜に「バカとブスは東大に行け!」というセリフがあるけど、

 

これは本当に核心を突いてると思う。

 

 

 

だから、そのお手伝いをする。

 

それが、自分の役割であり、存在意義だと思ってる。

 

 

だから、容赦はしない。妥協もしない。

 

授業に対してもそうだし、生徒への接し方もそう。

 

 

授業のことは、いつも頭の片隅で、

 

「今日の授業はこういう風にしてみよう」、「この子に対してはこういうアプローチの方が良いかもしれない」

 

ということを考えてるし、

 

 

生徒に対しても、うわべだけで接するのではなく、相手の心の中になるべく踏み込むようにしている。

 

もちろん、順序はちゃんとわきまえてるよ。初対面の生徒にはそんなことはしない。

 

まずは、相手のことをよく知り、こちらのことをよく知ってもらって、

 

信頼関係の構築からスタートだ。

 

 

で、うわべだけでは接しないから、

 

褒める時はめちゃくちゃ褒めるし、叱る時はめちゃくちゃ叱る。

 

いつでも本気モード、ガチの本音で生徒と向き合う。

 

 

これも全て、生徒に勉強でテッペンを目指してほしいからだ。

 

 

 

だから、「教育者」なんて立派な肩書きは自分には似合わないし、

 

正直、そんなものは必要だとも思ってないけど、

 

目の前の生徒とまだ見ぬ未来の生徒のために、全力で尽くす人。

 

これが自分の肩書きだ。

 

それをどんな名称で呼ぶかは、人それぞれで構わないや。