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【日本語脳の限界】冠詞の完全理解が日本人には不可能な理由

 

 

たまには英語の話をしよう。

 

今回のテーマは、「英語の冠詞」について。

 

 

と言っても、ここで今さら「冠詞とは何ぞや」について語っても面白くないので、

 

「日本人は冠詞とどう向き合っていけばいいか」について書いていきたいと思う。

 

 

 

まず基本的に、可算名詞の単数形には「a(またはan)」が付く。

 

複数の場合は複数形にして、特定されてるものを指すときは「the」を付ける。

 

 

これが、冠詞に関する基本ルールだ。超ざっくりだけれども。

 

 

さてここで、

 

たとえば可算名詞の「dog」の単数形を何も付けずに使って、

 

I like dog.

 

と言ったとする。

 

これを英語脳の人達が聞くと、形のある「犬」ではなく、何か「犬」という概念的なもの、

 

もしくは、決まった形の無い「犬の肉のかたまり」みたいなものを思い描く。

 

というような説明がよくされている。

 

 

うむ。たしかにそうなのかもしれない。

 

 

 

日本語脳の我々にとって、冠詞は一生「想像の域」を出ない

 

 

でもさあ、

 

 

 

それってさあ、

 

 

 

我々のような「全身が日本語で出来ている日本語脳の人間たち」にとっては、

 

想像以外の何物でもないんだよね。

 

 

「こうなんだよ」って言われて、「へぇー、そうなんだ」って想像するしかない。

 

 

でも、実際にそれを見ることができないから、

 

いつまで経っても永遠に「想像の域」を脱することができない。

 

つまり、完全にそれを正しく理解することは無理な話なんだよ。

 

 

男性脳」が「女性脳」を理解しようとしても、

 

100%に「近づく努力」は出来ても、「完全に」理解するのは絶対に不可能なのよ。

 

だって女性じゃないんだもん。

 

そもそも脳の思考回路が(きっと見えてる景色も)違うんだから。

 

 

 

たとえば、「語順」なんかは目に見えるから完全な理解は可能だけど、

 

冠詞は「目に見えない世界」だから、我々日本人が完全に理解するのは不可能。

 

 

 

だから、特に英語が初習段階の中学生たちには、

 

冠詞のルールについて細かいことは言わない。

 

究極的には、

 

「可算名詞(数えられる名詞)の単数形は何も付けずに使うと危険」くらいかな。

 

そもそも、可算名詞と不可算名詞の違いも日本語脳的には「???」って場合もあるけれど。

 

 

あとは、冠詞の間違いに関してはそんなに大騒ぎはしない。

 

日本人である以上、最初は間違えても当然、ぐらいなスタンス。

 

 

そのかわり「語順」のミスは致命的だから、そこは徹底的に矯正させていくけどね。

 

 

 

とにもかくにも、冠詞、そしてそれに付随する名詞は、奥が深いのだ。

 

我々日本人が完全に理解しようとするなんて、逆におこがましいのかもしれない。

 

 

 

以上、春日部アカデミーから福地がお届けしました!