ちょっと日にちが経ってしまったが、
この間の日曜日に参加した三輝会。
そこで、ちょっと興味深いというか、「それってどうなの?」という話を聞いた。
話の内容は今話題のAIに関するもので、
それを教育現場にこういう形で持ち込んでいければ、という話。
AIを専門に扱ってるベンチャー系企業の代表の方が、
ゲストみたいな感じで来てて話してくれたんだ。
どんな感じのものか、超ざっくり言うと、
まず、AIに生徒一人一人の情報を記憶させる。
テストの成績や問題の正答具合いはもちろんのこと、性格とか、どんな話をしたかとか、
とにかく、ありとあらゆること。
で、それを元にAIが、その子に最も適した指導法やカリキュラム、
そして、その子との接し方までもを教えてくれる、というもの。
まあ、ここまでは最近よく聞く話ではあるんだけれど、
僕が一番引っ掛かったのは、
「講師の経験や勘に頼らない」という売り文句だ。
講師の経験や勘。
これってさ、その塾を最も特徴づけてるものなんじゃないのか?
その塾の講師の経験や勘の良し悪しが、その塾の良し悪しをダイレクトに決定付けるものなんじゃないのか?
そこをAIが担うって、どういうことなんだろう。
それって「塾」って言えるものなんだろうか?
あ、そうか。
どこぞの大手塾のように講師が入れ代わり立ち代わりコロコロ変わったり、
そんなに経験が無い人が「塾長」や「教室長」を名乗ってるテキトー塾の場合は、
こういうツールは喉から手が出るほど欲しくなるのか。
そういうことか。
でも、それって「塾」の意味あるの?
僕は、教育の最も根幹にある本質は、「人が人を指導する」ことにあると思う。
指導する側も「人」だから、当然間違いもあるだろう。
でも、その間違いも含めて「教育」だ。
指導する側が間違えた瞬間は、指導「する」側が「される」側になる瞬間。
教える側にとっての学びの瞬間だ。
そしてもう一つ。
僕は、人間の情報処理能力はAIなんかよりもはるかに優れてると思ってる。
その子に関する多岐にわたる情報。
その子が抱えてる状況。
その子の成長度合い。
その子の感情の変化。
そういうものを全て取り込んで一つのまとまった形にする。
そして、それを元に、その子との接し方を臨機応変に変える。
さらに、時間の経過とともに生じる変化をキャッチして、それをふまえてさらに変えていく。
もちろんこれには経験が必要だが、
そういうことがより高精度に出来るのは、やはり人間だと僕は思ってる。
AIなんて所詮、ただの機械。
そんなものに、頼るべきではないところまで頼ってしまったら、
人間の良さなんて失われていく一方だろう。
それに、何より、
そんな、AIごときが出した答えを頼りにしている塾など、
面白くも何ともないだろう。
最初は物珍しさで注目されるかもしれないけど、
きっとすぐに飽きられる。
以上、春日部アカデミーから福地がお届けしました!