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世の中は勉強や学問が全てではない。
学校の成績が悪かったり勉強が不得意だったりしても生きていける。
それに、生きていくために必要な力は勉強や学問だけではない。
学校の勉強は、生きていくための力の一部に過ぎない。
だがしかし、それでもなお、
勉強は出来ないよりも出来た方がいい。
それは何故なのか。
よく言われるのは、
それによって人生の選択肢が広がるから、ということ。
しかし、僕の考えはそれとはほんのちょっと違う。
出来ることによって選択肢が広がるのではなく、
出来ないことによって選択肢を狭めてしまう。
つまり、「元々の10を100に出来る」のではなく、
「元々の100を10に減らしてしまう」ということ。
僕はこう思うんだ。
しかも、勉強が出来るようになるために必要なことは、たった一つ。
やるべきことを当たり前のようにやり続けること。
これだけ。
つまり、やれば、そしてそれをずっと続けていけば、
誰だって平等に勉強は出来るようになる。
もしこれに反論を唱える人がいるとしたら、
それは、出来るようになる前にあきらめて、やるのを止めてしまった人だろう。
ここまでの話をまとめると、
1.勉強が出来ないことによって人生の選択肢は狭まる。
2.勉強は、やれば誰でも必ず出来るようになる。
つまり、
勉強をしないことにより、自分の人生の選択肢を、
自分の手で狭めてしまうことになる。
だから、勉強はした方がいいんだ。
かの福沢諭吉も、「学問ノススメ」の冒頭でこう言っている。
生まれたときは人は平等なはずなのに、なぜこんなにも貧富の差があるのか。
それは、しっかりと学物を学んだかどうかの差なのだ。
ドラゴン桜の桜木先生もこう言っている。
勉強はこの世で唯一、誰に対しても平等に与えられた権利。
だから、バカとブスは東大に行け!
春日部高校や、浦和高校、大宮高校、浦和一女、不動岡、越谷北。
このような上位校を目指す子たち、
そして、その高校に通ってる生徒たちは、
既にこのことに気付いてる。
彼らにとって、
勉強はごく日常。当たり前のことなのだ。