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【問題提起】「話すこと」に異様なまでに執着し過ぎた英語教育改革

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昨日、知り合いの塾長先生たちと話をしながら、ある言葉を思い出した。

 

 

英語4技能

 

 

今の学習指導要領に変わる前とか大学入学共通テストが始まる前は毎日のように目にしていた記憶があるが、

 

今はほとんど目にしなくなったような気がする。

 

 

そもそも「英語4技能」というのは、

 

「読む」「書く」「聞く」「話す」の4つの技能をバランスよく身につけよう、というもの。

 

しかし、実際のところは「話す」にかなり偏ったものになっており、

 

それは当時から問題視されていた。

 

 

思うにこれは、

 

外国人との関わり合いが一般的になるにつれ、

 

「外国人を前にしても英語が話せない日本人」(一方で他の国の人は普通に話せてる)というのが表面化してきて、

 

「これは、まずい!というか、恥ずかしい!」ということになったこと。

 

それに加え、

 

「あんなに難しい英語を何年もかけて一生懸命学校でやってきたのに話せないとは何事!?」

 

という考えが、一部の有識者の間で大きくなってきて、

 

「話せないのは今までの英語教育が悪い」という短絡的な結論付けをしたことに端を発するのではないかと思う。

 

 

あくまでも個人的な考えだけど、根本的な部分はそんなに大きく間違ってないと思う。

 

 

さらに、ざっくりと「昭和生まれ」の世代の人達は、

 

「英語が話せない」ということに少なからずコンプレックスを抱いている人が多い。

 

そういう、いわば世論的なパワーも、この「4技能」教育、「話すこと」を重視した英語教育に

 

大きく拍車をかけることになったと推測する。

 

 

そういうこともあり、細かい問題点の議論が十分にされないまま始まった今の日本の英語教育。

 

 

しかし、フタを開けてみたらどうだろうか。

 

 

お世辞にも、理想としていた状態とは言えないのではないだろうか。

 

 

それどころか、「英語ができない子供たち」がますます増えてはいないだろうか。

 

 

もしかしたら、日常会話レベルの英会話は出来る子はある程度は増えたのかもしれない。

 

けれど、それ以上先に進めない子も多いのではなかろうか。

 

 

それが、学校の定期テストにおける平均点の驚くべき低下や二極化の現象、

 

そして、9月の北辰テストの英語平均点38点、というようなことにも表れているように思う。

 

 

これは、「話せること」にあまりにも執着し過ぎた結果ではないだろうか。

 

 

本当に話せるようになるためには、一日のほとんどをその言語環境の中に身を置いて生活しなくてはいけない。

 

しかし、一般的な日本人にとってそれは非常に困難なことであるし、そもそも必要のないことだ。

 

普段生活している分には日本語だけで十分に事足りる。日本はそういう国だ。

 

 

だとしたら、そんな日本の中で我々が子供たちに与えていかなくてはいけないのは、

 

「英語が分かる!理解できる!難しくない!」と思えるような環境だったり教育内容なのではないか?

 

もちろん言うまでもなく、その「理解」は我々の母国語である「日本語」を通して行われなくてはならない。

 

 

まずは、「難しくない!理解できる!」という感覚を十分に味わせて、

 

そこからそれを「習得」の域までしっかりと引き上げる。

 

そうすれば、時間は少しかかるかもしれないけれど「話すこと」だって出来るようになる。

 

 

 

ある意味、言葉は少々悪いが「浅はかな英語教育改革」による一番の被害者は、今の子供たちだ。

 

「英語って、こうやって勉強すれば全然難しくないよ」

 

ということを一人でも多くの子供たちに伝えていきたい。

 

いや、伝えていくことが僕に課された義務だ。

 

 

日々そう考えて、僕は授業に臨んでる。

 

 

英語は難しくないし、正しい勉強法でしっかり学べば、必ず出来るようになるよ。

 

春日部アカデミーでそれを実体験してみないか?