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【これが真意だ】「国語は全ての教科の基本」

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「国語は全ての教科の基本」

 

 

これ、このブログの読者の方も一度は聞いたことがあると思う。

 

 

でも、ここで言う「国語」って、教科としての国語とはちょっと違う。

 

 

「国語」というより、「言葉の知識」と言った方がいいかもしれない。

 

 

「知識」と言っても、辞書に書いてある言葉の言いをただ知っているだけではなく、

 

その言葉が持っている世界観を、

 

その言葉、そしてそれらが繋ぎ合わされて出来た文、文章からどれだけ感じられるか。

 

その言葉、その文を目にした時に、どれだけ映像化された光景が脳内に浮かぶか。

 

 

ということ。

 

 

たとえば、

 

「雲一つない青空」という言葉を聞いて、どういう光景が思う浮かぶだろうか。

 

 

これくらいの言葉なら、きっと多くの人が同じような光景を思う浮かべるかもしれない。

 

そしてそこには、「爽やかさ」とか「明るさ」のような感情が伴ってると思う。

 

 

「じめじめとした熱帯夜」ならどうだろう。

 

 

これもきっと、あまり人による差はないかもしれない。

 

そこで感じられる感情も、「嫌だな~」とか、「またか~」のような、否定的な感じに違いない。

 

たぶん、「やったー!」とか「今日もじめじめしてて嬉しい!」というような感情を感じる人は、かなりのレアケースだろう。

 

 

 

では次に、これはどうだろう。

 

「マイナス金利付き量的金融緩和」

 

 

何となく「経済の話っぽい?」というところまではイメージできると思うんだけど、

 

経済に詳しい人でなければ、この言葉が何を意味し、それが良いのか悪いのか、

 

この言葉を聞いてどんな感情を持ったらよいのか、

 

そういうことがさっぱり分からないだろう。

 

 

 

これは少し極端な例だけど、

 

言葉の意味、そしてその世界観が分からないと、

 

新しいことを学ぶ時に、それがどういうことなのかが、さっぱり分からない。

 

教科を問わず、そういうことが起こる。

 

 

だから、一つでも多くの言葉を自分の中に取り入れて、言葉の世界を広げていかないといけない。

 

 

 

それが、

 

「国語は全ての教科の基本」の真意である。

 

 

さっき国語の授業をやって、ふとそう思ったんだ。

 

 

言葉の世界を広げたい人は、「三語短文」に参加しようね。