さっきのブログ(↓)の続編的な内容になるけど、
実は、「理解をする」というのは、
努力をちゃんと積み上げていって基礎をガチガチに固めていけてれば、
そんなに大変なことではなくなってくる。
何かを「理解できない」っていう時は、
それを理解するための予備知識、土台、基礎がほぼゼロに近いから、という場合がほとんどだ。
逆に、そういうものがちゃんと備わっていれば、
新しいこと学ぶときにもそれらを元に自分で考えて、
「ああ、これって、こういうことなのかな?」
「きっと、こういうことだよね。」
っていう感じで想像することができる。
だから、理解がしやすくなる。
これはどの教科にも言えることで、
たとえば英語だと、中2までの基礎がしっかりと固まっていれば、
中3で習う関係代名詞や仮定法なんてまったく難しいと感じない。
というのは、以前も書いたことがあるけど、
それだけじゃなく、
中3の二次方程式をたったの80分×2回の授業で全て理解してしまう、
なんてことも起こってくる。
だから塾としても、生徒が「分かった!理解できた!」って言ってくれたからって、
それで良しとしてはいけないんだ。
そんなの当たり前のことだし、それ、半分は生徒自身の力だから。
自分たちの役割は、
それをいかに、生徒の頭と体に馴染ませるか、ということ。
そこをもっと究め、もっと磨いていかないと、
塾としての使命を果たしたことにはならない。
少なくとも、自分はそう思う。