「努力」というものをどう捉えているだろう。もしかして否定的に捉えてないだろうか。
そう思って、先日、中1の子たちに授業冒頭の雑談で聞いてみたんだけど、
そこまで否定的には捉えていなかった。
なんだ、意外と(と言ったら失礼だけど)ちゃんとした考え方してるじゃん。
こっちが勝手に間違った思い込みをしていたことを、
ちょっと反省した。
さて、この「努力」。
人生の中で無くてはならない、欠かせないものだろう。
何か事を成すときに、努力しないのはあり得ない。
事の大小はどうあれ、それを成し遂げるには必ず「努力」が必要だ。
スポーツや芸術で「一流」の域に達している人たちも、
間違いなく、人並外れた努力をしている。
ただ、彼らはそれを「つらいこと」とは思ってないだろう。
自分にとって当たり前のこと。まるで、外に出るときに靴を履くかのように。
もしくは、楽しんでいるかもしれない。
「つらいこと」ではなく、それとは全くの正反対、「楽しいこと」だと思ってる。
でも、そうだよね。楽しくなければ長続きしない。
だとすると、いったい何が楽しいのか、
元々好きなこと?
たしかにそれもあるかもしれない。
でも、ただ「好き」ということ、これ一つだけで、
いつでもどこでもどんな時でも、ずっと「楽しい」でいられるだろうか。
なんとなく、どこかで飽きてしまうんではないかと思う。
となると、他に何がある?
実は、さっきから他のことをしながら頭の片隅でこれをずっと考えてるんだけど、
やっぱり、これだろうな~、これしかないよな~、と思うことがあって、
それは、
「自分の成長、出来なかったことが出来るようになることが、楽しい」
ということ。
やっぱり、これでしょ。これしかないと思うんだ。
打球の飛距離が長くなってきた!よっしゃ!
100メートルのタイムが上がってきた!よっしゃ!
シュートの命中率が上がってきた!よっしゃ!
ここの超絶速いフレーズがミス無しで弾けるようになった!よっしゃ!
自分の理想の演奏に近づいてきた!よっしゃ!
みたいなね。
努力の結果、こういうことを実感できるのが、「楽しさ」になるんだと思う。
そして、これと同じことは勉強にも言える。
英単語の意味がスラスラ答えられるようになった!よっしゃ!
数学のこの難問が楽に解けるようになった!よっしゃ!
小テストで満点取った!よっしゃ!
って感じ。
こういうことが原動力となって、また「努力」を維持、そして加速させていくんだろう。
最後に、こういう楽しさを感じるために絶対に必要なことがある。
それは、「真剣にやること」だ。
いい加減な感じでテキトーに取り組んでも、決して「よっしゃ!」は味わえない。
となると、努力は「つらいもの」になるばかり。
努力を楽しむためには、「真剣にやること」が絶対条件だね。